活字と動画のタイパについての個人的感想
動画、活字と比べるとタイパ悪すぎて嫌いなクラスタ。文字ならざっと流し読みして1分で概要わかることを動画で10分解説されるとか… #年寄りの感想 https://t.co/zNbGbrYuBa
— Kazuho Oku (@kazuho) October 23, 2022
このツイートを見て自分は活字と動画のタイパというものについて色々と思うところがあったので個人的な感想をまとめておく。
まずタイパという言葉については正直初めて聞いたが、time performance(=時間効率)みたいな和製英語だと思う。なので意味としては「動画の方が活字よりタイパが良い」とは「動画の方が活字より早く情報が読み取れる/理解できる」程度の意味合いで使われていると思われる。
このツイートに対してTwitter上での意見を見ると圧倒的に同意が多く活字の方がタイパが良いに決まってるという人が多く見えた。これだけ活字の方が良いと言っている人が多いのであればそれはそうなのだろうなと思う。
中には一概に活字 >>> 動画ではなく、コンテンツによるよねと言っている人もいた。例えば技術ドキュメントのような説明書タイプのものは検索性が重要なので活字の方がよく、もしこのようなコンテンツが動画だとインデックスがなくてしんどすぎる。一方で料理の作り方や編み物の作り方は実際のビジュアルや実践風景があった方が理解しやすいから動画の方が良い。これも一理ある。
そうした意見の中で自分の現在のポジションとしてはどうかというと活字で情報提供してくれるなら活字で提供してほしいである。だが同時に動画の方がタイパが良いという人たちについてもかなりの理解ができるという感情もある。
どういうことかというと自分はこれを完全に能力の問題だと捉えているということだ。つまり運動ができる/英語が話せる/プログラミングができるみたいな先天的もしくは後天的な訓練によって得られる能力問題なのだと考えている。
というのも自分は今でこそ動画より活字の方が情報理解の速度が速くなっているがほんの数年前まではツイートの参照先で言われている動画の方がタイパが良いと思っていたタイプだ。その当時のことを思い出すと先の「コンテンツによる」という意見で出ていた実践風景のある方が理解しやすいコンテンツだけでなく説明書的なコンテンツでさえも動画の方が早くない??と思っていた。
どうしてそう感じていたのかというとこれはそもそも活字から情報を吸い上げる能力と動画から情報を吸い上げる能力に大きな差があったからだ。例えば活字から情報を吸い上げると毎分2情報で動画から情報を吸い上げると毎分10情報得られるような感じ。こういう人は1分あたり3情報以上詰め込んである情報圧縮された動画を見た方が活字から情報を得るよりタイパは良い。
活字の方がタイパが良いと言っている人は活字から情報を吸い上げる能力が毎分20情報で動画から情報を吸い上げる能力が毎分10情報とかなんだと思う。
またTwitterでこの手の話題が挙がると活字の方がタイパが良いという意見が優勢になるんだけど、これは自分の気持ちを文章にしたり文章から情報を吸い上げる能力が一定以上ある人間、つまり活字から情報を吸い上げる能力が十分にある人間がTwitterには多いからだと思う。それならTwitterでは活字の方がタイパが良いという意見は刺さりにくいというのも理解できる。日本の7割くらいがYoutubeを使っている一方でTwitterはせいぜい3,4割程度(アカウントの重複含む)という利用者構成なのに活字の方がタイパ良いという意見がTwitterでこんなに多いのはTwitter独自の偏りがかかっているはず。
なおこうした話題に関して活字派と動画派の人間のどちらが優れているのかという旨の議論もされていたがこれには意味がないと思う。足が速いか否かみたいな話であり優劣の問題ではない。基本的には活字より動画からの情報吸収が得意な人は動画から情報吸収すればいい。ある意味選択肢が昔より増えたということであり良い時代になったということなのかもしれない。
とはいえ一部で動画でしか提供されていないコンテンツが増えることへの危惧というのがあるのも理解できる。先に挙げた通り動画の検索性の低さは一部のコンテンツでは致命的なほどのユーザビリティの悪さをもたらす。さらに活字の逆で動画から情報を吸収する能力が低い人にとっても厳しいはず。なのでそういう人は動画コンテンツが増えることに対して逆の生きづらさを感じるかもしれない。理想的には動画でもテキストでも情報提供されれば両者共にハッピーなのかもしれないがコンテンツ作成コストを考えると中々難しいところではある。
現状地球上に存在する書籍の量やインターネットコンテンツ量を考えると圧倒的に活字から情報吸収する能力が高い人間の方が有利であることは確かなので義務教育でこうした能力を開発するカリキュラムに重点をおくべきだというのは理解できる。世界的な標準語が英語なので英語が必修になっているのと同じだ。とはいえ英語が義務教育なのに多くの日本人が英語を話せないように義務教育で何かしら手を施しても活字力の定着もまた個人差が多いにあろうことは理解に難くない。
より個人的な話にはなるが自分が活字から情報を吸収する能力が動画以上になったと感じられるようになったのは26,7歳の大人になってからだ。大体ここ数年の話である。最低限の義務教育は受けてきたし大学も偏差値で言うと60以上の国立大に進学したので人並みに勉強はした方だと思うがそれでも最近までは動画 > 活字だった。そもそも学力とこうした能力に関係はないのかもしれないが。
転機としてはプログラマとして仕事をしていく上で知的生産性の衰えが一番マズイと感じることが増え、読書に浸る時間を増やし、詰将棋をやったり、数学をやってみたりとかなんか脳内の筋肉量増加に寄与しそうなことを色々手探りでやったあたりだ。それでもこの程度である。今でも動画はかなり見るしちょっと難しいことは動画を探す。
職業柄のディスアドバンテージがあるからこれだけ挽回に力を注げたが、それほど喫緊の課題ではない人には無理難題だと思う。
右往左往活してしまったが言いたい事があるとすると、活字から情報吸収する能力がある人は活字から情報を摂取すればいいし、動画から情報吸収する能力がある人は活字から情報を摂取すればいい、自分の置かれた立場に合わせて合理的な判断で好きなように情報摂取すれば良い。それは優劣ではなく得意不得意の問題で、ただそれだけの話。という感じ。
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